畳は世界に類がない日本固有の文化
地球上のいろいろな気候、そこではそれぞれに育つ植物や動物も違います。その暮らしに合った「敷きもの」を人々が工夫して作り、使いました。人間が初めて作った家具は「敷きもの」であるとも言われます。
日本は南北に長い国、地形が複雑なうえ四季の変化があります。アシ、カヤ、イグサなどいろいろな植物で敷きものを作りました。中でもイグサはすべすべした肌触りの美しい敷きもので「御座(ござ)」と呼ばれるようになりました。人々の暮らしに大切な神様をお迎えする祭りで神様の座る場所として広げた敷きものが御座です。
存在する最も古い畳は奈良時代(710年~)のもので、奈良東大寺の正倉院にある聖武天皇が使用した「御床畳(ごしょうのたたみ)」という木の台の上に置かれたものです。
真薦(まこも)を編んだござのようなものを5~6枚重ねて床とし、イグサの菰(こも)で覇って、錦の縁がつけられていました。この台を二つ並べてベッドとしていました。
平安時代(794~)に入って貴族の住まいが寝殿造になると、板の間に座具や寝具として部屋の必要なところに置かれるようになりました。縁の色や模様、重ね方などでその畳に位置する人の地位を示していました。
鎌倉時代(1192年~)から室町時代(1392年~)にかけて書院造になると、それまでは必要な場所にだけ置かれていた畳が部屋全体に畳を敷きつめる使い方になり座敷と呼ばれました。それに合った日本固有の「正座」という座り方も生まれました。
安土桃山時代(1573年~)から江戸時代(1603年~)にかけて茶道が発展し、茶室の工夫や手法を取り入れた数寄屋風の書院造になり、畳はなくてはならないものとなりました。江戸時代には「御畳奉行」という役職が設けられ、城や屋敷の改修工事を司りました。将軍や大名にとって畳は重要なものでした。
町家や長屋にも徐々に畳の部屋がつくられるようになりましたが畳は高価な床材で、火事になれば持って逃げるし、お金がなくなれば畳を質草に入れて工面するということもありました。
一般庶民に畳が普及したのは江戸中期以降であり、農村においてはさらに遅く明治時代になってからでした。
明治時代(1868年~)になって畳にかかっていた規制が解除され、一般社会に畳は広く伝わっていきます。明治時代の貸家には「造作つき」と書いていなければ、借りた人が畳を自分で買って敷かなければならなかったということです。畳干しをこまめにして傷むのを防ぎ表が焼けたら裏に返して使うなどの知恵で大切に使われていきます。
現代(1990年ぐらい~)ではフローリングが普及し畳の部屋は一室という住居も増えてきました。しかし畳に対する思いは深く、畳ならではのよさも見直されてきています。またフローリングの上に置くだけの置き畳や琉球畳、化学素材の畳など機能性も高くなって、自分に合った畳生活をする人も増えています。
参考図書
たたみの話(さ・え・ら書房)
日本人とすまい2畳(光琳社出版)